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東日本大震災から丸一年が経った一昨日、福島県との県境に在る、宮城県の山元町へボランティアの手伝いに行ってきました。
昨年の震災後、自分の出来る範囲で物資や義援金を送ったりはしたけど、この一年何かずっと「モヤモヤ」するものがあったので、「やっぱり一度ボランティアに行こう!」と決めたのが、2月半ば・・約1ヵ月前・・・
でも全く要領も分からず、あてもなしに行くのは不安だったので、大阪の旅行会社が主催する災害支援ボランティアバスツアーに申し込み、3月10日(土)の深夜(正確には11日の0時半くらい)、さいたまスーパーアリーナの前から山元町に向けて出発しました。
途中、国見サービスエリアで休憩をとったり、山元町内のコンビニでの飲み物、朝食などを買ったりして、山元町災害ボランティアセンターのある山元町役場に着いたのが、午前8時半頃。
それから最終的な準備や作業内容、スケジュールの確認、7~9名毎のグループ分けなどを行い、9時半頃に役場を出発。この日ボランティア活動に参加したのは、バス2台に亘る参加者と現地スタッフ、総勢100名ほどでした。
バスでボランティア活動を行う現場へと向かう途中、海沿いの地域へと近付くにつれて、津波に流され、1階部分や2階の一部が柱だけになってしまった家や土台だけになった家の跡。
どこまでが畑でどこからが家だったのか、ほとんど分かりようのない景色の中に、大きな瓦礫の山が何箇所も出来ていました。
そのこれまでテレビや写真でしか見たことのなかった風景に、ただただ言葉を失うばかりで、また時おりすれ違う何台かの車の中に、追悼式や一周忌に参列されるのか、喪服を着た方や助手席で遺影や遺骨を抱えている方を目にし、それら全てが東京からたった300kmくらいしか離れていない街の現実なんだなと痛感しました。
そして、午前10時前に現場へ到着すると、そこからちょっと離れた民家の先に、トレーラーに載せられたアルミボートを見付け、よく見ると船体にJBのステッカーが貼ってあった。
それを見たらなぜか無性に悲しくなって、涙を堪えるのが大変でした。もちろん、その持ち主が誰なのかは分からないけど、無事でいてくれればと願うばかりです。
現地で僕らに与えられた仕事は、山元町に数多くあった“いちご農園”を再建するため、津波で運ばれて来た細かな木片や鉄屑、プラスチックなどのゴミを畑から取り除くこと。
全員が手作業で(スコップで)掘り返し、一つひとつ拾っていくだけなんだけど、前日に薄っすらと積もった雪のせいか、土がかなり重くて以外と重労働でした。
ちなみに参加者は男女半々くらいで年齢層も幅広く、まさに「老若男女」といった感じ。僕の居た班は男性3名、女性4名の計8名で、女性のうち3名が親子・・しかも、大学2年生の娘と母とお祖母ちゃんという、親子3代での参加。
それと大学1年生の爽やかな若者(男性)も一緒の班だったんだけど、何とその彼はこの春休みを利用して、福岡から電車を乗り継ぎ一人で来たんだって。おまけに翌日には福島に行く別のボランティアツアーにも参加するとのこと!
何だか彼と話をしていると、嬉しいやら、自分が恥ずかしいやら、羨ましいやらで、ホントつくづく「若さってイイなぁ」って。
ままっ、そんな若さに負けじと頑張った結果・・・今日は朝から腰が痛いは、変なところが筋肉痛だはで、全身ボロボロですけどね(^^;)
そして、午後1時班過ぎに作業を終了し、ボランティアセンターで後片付けをしたあと、参加者全員で記念撮影。みんなすごくイイ笑顔だったと思います。
その後、献花台に花が添えられ、一年前の地震発生時刻、2時46分にそこにいた全員で海のある東に向かって黙祷を捧げました。僕も周りの方々も自然と涙が溢れて、1分間の黙祷が終わった後も、地元の方からの声が掛かるまで誰も動けませんでした。
本当にいろいろなことを考えて過ごしたこの一年、今まで当たり前だと思っていた様々なモノの価値観が自分の中で大きく変わった一年でした。
今回のこのボランティアに参加するに当たり、敢えて3月11日に行く必要があるのか。また初めて東北の被災地を訪れることに少なからず戸惑いや不安があったのも事実です。
でも、節目となるこの日に山元町へ行けて本当に良かったと思います。
多分、街が元の状態に戻るのには途方もない時間が掛かると思います。それは山元町だけではないけど、今、被災地の方々が必要なことの手伝いをこれからも自分のペースで続けていきたい。
こういうのって、ただの「自己満足」なのかも知れないけど、それで誰かが喜んでくれるなら、身体の動くうちはやっときたいかなと(笑)。
・・っということで、もっともっとトレーニングしよぉ~っと(^^)b
そうそう、帰りにボランティアセンターで山元町産の“いちご”が販売されてたので、1パック買ってみた。
震災後、僅かに再開したいちごのビニールハウスで栽培されたものなんだそうです。家帰ってさっそく食べたけど、すごく美味しいかったです!
でも関東では原発の風評被害のせいか、あまり売れないとのことで、ほとんどが北海道などに出荷されているとのこと。ま、僕は全然気にしませんけどね(笑)。
それともう一つ。山元町 磯浜ステッカー!
これは山元町にある震災の被害を受けた磯浜漁港の「復興の足掛かりになれば」と、秋田から来た女性のボランティアの方が製作した1枚500円のステッカーで、収益は大漁旗の作成からスタートし、次は漁具などの購入に充てられるそうです。
気になる方は「磯浜ステッカー」か「心声(ココヘ)プロジェクト 」で検索してみてください。
いや~、久しぶりに長文になっちゃった(^^;)
まぁ、日頃の行いであまりホメられることないんで、たまに良いことしたらいっぱい書いとかなくちゃね♪
それにしてもメッチャ腰が痛い・・・(>o<)
昨年の震災後、自分の出来る範囲で物資や義援金を送ったりはしたけど、この一年何かずっと「モヤモヤ」するものがあったので、「やっぱり一度ボランティアに行こう!」と決めたのが、2月半ば・・約1ヵ月前・・・
でも全く要領も分からず、あてもなしに行くのは不安だったので、大阪の旅行会社が主催する災害支援ボランティアバスツアーに申し込み、3月10日(土)の深夜(正確には11日の0時半くらい)、さいたまスーパーアリーナの前から山元町に向けて出発しました。
途中、国見サービスエリアで休憩をとったり、山元町内のコンビニでの飲み物、朝食などを買ったりして、山元町災害ボランティアセンターのある山元町役場に着いたのが、午前8時半頃。
それから最終的な準備や作業内容、スケジュールの確認、7~9名毎のグループ分けなどを行い、9時半頃に役場を出発。この日ボランティア活動に参加したのは、バス2台に亘る参加者と現地スタッフ、総勢100名ほどでした。
バスでボランティア活動を行う現場へと向かう途中、海沿いの地域へと近付くにつれて、津波に流され、1階部分や2階の一部が柱だけになってしまった家や土台だけになった家の跡。
どこまでが畑でどこからが家だったのか、ほとんど分かりようのない景色の中に、大きな瓦礫の山が何箇所も出来ていました。
そのこれまでテレビや写真でしか見たことのなかった風景に、ただただ言葉を失うばかりで、また時おりすれ違う何台かの車の中に、追悼式や一周忌に参列されるのか、喪服を着た方や助手席で遺影や遺骨を抱えている方を目にし、それら全てが東京からたった300kmくらいしか離れていない街の現実なんだなと痛感しました。
そして、午前10時前に現場へ到着すると、そこからちょっと離れた民家の先に、トレーラーに載せられたアルミボートを見付け、よく見ると船体にJBのステッカーが貼ってあった。
それを見たらなぜか無性に悲しくなって、涙を堪えるのが大変でした。もちろん、その持ち主が誰なのかは分からないけど、無事でいてくれればと願うばかりです。
現地で僕らに与えられた仕事は、山元町に数多くあった“いちご農園”を再建するため、津波で運ばれて来た細かな木片や鉄屑、プラスチックなどのゴミを畑から取り除くこと。
全員が手作業で(スコップで)掘り返し、一つひとつ拾っていくだけなんだけど、前日に薄っすらと積もった雪のせいか、土がかなり重くて以外と重労働でした。
ちなみに参加者は男女半々くらいで年齢層も幅広く、まさに「老若男女」といった感じ。僕の居た班は男性3名、女性4名の計8名で、女性のうち3名が親子・・しかも、大学2年生の娘と母とお祖母ちゃんという、親子3代での参加。
それと大学1年生の爽やかな若者(男性)も一緒の班だったんだけど、何とその彼はこの春休みを利用して、福岡から電車を乗り継ぎ一人で来たんだって。おまけに翌日には福島に行く別のボランティアツアーにも参加するとのこと!
何だか彼と話をしていると、嬉しいやら、自分が恥ずかしいやら、羨ましいやらで、ホントつくづく「若さってイイなぁ」って。
ままっ、そんな若さに負けじと頑張った結果・・・今日は朝から腰が痛いは、変なところが筋肉痛だはで、全身ボロボロですけどね(^^;)
そして、午後1時班過ぎに作業を終了し、ボランティアセンターで後片付けをしたあと、参加者全員で記念撮影。みんなすごくイイ笑顔だったと思います。
その後、献花台に花が添えられ、一年前の地震発生時刻、2時46分にそこにいた全員で海のある東に向かって黙祷を捧げました。僕も周りの方々も自然と涙が溢れて、1分間の黙祷が終わった後も、地元の方からの声が掛かるまで誰も動けませんでした。
本当にいろいろなことを考えて過ごしたこの一年、今まで当たり前だと思っていた様々なモノの価値観が自分の中で大きく変わった一年でした。
今回のこのボランティアに参加するに当たり、敢えて3月11日に行く必要があるのか。また初めて東北の被災地を訪れることに少なからず戸惑いや不安があったのも事実です。
でも、節目となるこの日に山元町へ行けて本当に良かったと思います。
多分、街が元の状態に戻るのには途方もない時間が掛かると思います。それは山元町だけではないけど、今、被災地の方々が必要なことの手伝いをこれからも自分のペースで続けていきたい。
こういうのって、ただの「自己満足」なのかも知れないけど、それで誰かが喜んでくれるなら、身体の動くうちはやっときたいかなと(笑)。
・・っということで、もっともっとトレーニングしよぉ~っと(^^)b
そうそう、帰りにボランティアセンターで山元町産の“いちご”が販売されてたので、1パック買ってみた。
震災後、僅かに再開したいちごのビニールハウスで栽培されたものなんだそうです。家帰ってさっそく食べたけど、すごく美味しいかったです!
でも関東では原発の風評被害のせいか、あまり売れないとのことで、ほとんどが北海道などに出荷されているとのこと。ま、僕は全然気にしませんけどね(笑)。
それともう一つ。山元町 磯浜ステッカー!
これは山元町にある震災の被害を受けた磯浜漁港の「復興の足掛かりになれば」と、秋田から来た女性のボランティアの方が製作した1枚500円のステッカーで、収益は大漁旗の作成からスタートし、次は漁具などの購入に充てられるそうです。
気になる方は「磯浜ステッカー」か「心声(ココヘ)プロジェクト 」で検索してみてください。
いや~、久しぶりに長文になっちゃった(^^;)
まぁ、日頃の行いであまりホメられることないんで、たまに良いことしたらいっぱい書いとかなくちゃね♪
それにしてもメッチャ腰が痛い・・・(>o<)
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